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ビスマルク外交(1862〜1890)

1.ビスマルクの鉄血宣言
ウィーン体制崩壊後のドイツを上から統一しようとする強権的政策
鉄と血とは軍備と犠牲のことで、戦争によって統一をめざすものだった

2.デンマーク戦争(1864)
デンマークの支配下だった、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両州は、大部分がドイツ系住民であった

②デンマークがシュレスヴィヒ州を自国の領土にしようとしたので、プロイセンはオーストリアを誘ってデンマークに宣戦布告し、あっさり勝利する

③今度は両州の管理をめぐりオーストリアと対立(これが次の普墺戦争の原因

3.普墺戦争(1866)→プロイセンの勝ち

①北ドイツ連邦結成:ドイツ連邦(オーストリアが盟主だった古い体制)を解体し、プロイセン王が北ドイツ連邦の盟主になる
②シュレスヴィヒ・ホルシュタイン両州をプロイセンに併合。ヴェネツィアをイタリアに併合
③オーストリアは、翌1867年にやむなくハンガリーに自治をゆるし、オーストリア・ハンガリー帝国が成立

4.普仏戦争(1870)
①フランスとの関係が悪化し、スペイン王家をめぐり両国民の感情がこじれていたところにビスマルクが故意にあおって戦争になった。
②この戦争に勝利して、ヴィルヘルム1世は皇帝となり、ドイツ帝国の樹立宣言をヴェルサイユ宮殿鏡の間で行った(1871)
フランクフルト条約
a.フランスは50億フランの賠償金を払うこと
b.アルザス・ロレーヌ両州をドイツに割譲すること

この条約がパリ市民を怒らせ、パリ・コミューンへと向かわせた

ビスマルクはフランスの復讐を恐れ、フランスを外交上孤立化させる政策を実施した

5.三帝同盟(1873)…最初のフランス孤立策
ドイツ;ヴィルヘルム1世、ロシア:アレクサンドル2世、オーストリア:フランツ・ヨーゼフ2世
フランスのいやな三帝同盟(1873)

6.露土戦争(1877)
①1875年からボスニア・ヘルツェゴビナ・ブルガリアに反乱が起こり、バルカン半島にパン・スラヴ主義がひろがった。

②1876年4月の蜂起にはオスマン帝国がブルガリア人1万人を虐殺(キリスト教徒殺害)「いやなムスリム(1876)キリスト教徒虐殺

③ロシア外相は列強に国際会議を提案し、露・独・墺・仏・伊の共同でオスマン帝国内政改革を勧告するもオスマン帝国が拒否。

④ロシアはオーストリアに中立を約束させた後にトルコに宣戦布告

⑤55万のロシア軍は苦戦の後プレブナ要塞で勝利し、マルマラ海に達し、イスタンブルに迫る。
↓そこで
⑦サン・ステファノ講和会議が開かれた。
サン・ステファノ条約の内容
a.ルーマニア、セルビア、モンテネグロの三国独立
b.ロシアの勢力下に、露軍が2年間占領した大ブルガリア自治国ができる
c.ボスニア・ヘルツェゴビナ(首都はサライェヴォ)も自治を認められた。

⑧この取り決めだと、ブルガリアが極めて大きな領土となり、しかもロシアの影響下に存在することになる。
↓また
⑨ロシアは、ダーダネルス海峡を通らずにブルガリアからエーゲ海に直接出てくる可能性をもった。
↓そこで
⑩イギリスとオーストリアは猛反対し、イギリスは軍艦をボスフォラス海峡に入れ、オーストリアは大動員令を出す。
↓しかし
⑪もはや、ロシアには、イギリス・ドイツ・オーストリア・オスマン帝国の連合を相手に戦争する戦力はなかった。
↓この状態を打開すべく
⑫ドイツが仲介者となり、ベルリン会議が開かれた。

7.ベルリン会議(1878)
①ビスマルクは「誠実な仲買人」と自称しながら、実はロシアの主張を抑えこんだ
※ベルリン条約の内容(サン・ステファノ条約の修正)
a.あらためて、ルーマニア・セルビア・モンテネグロの独立承認
b.ブルガリアの領土削減。これでロシアの南下策は3度目の挫折

(1度目は、エジプト・トルコ戦争、2度目はクリミア戦争)

c.オーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナの統治を委任される

(これが独露疎隔のもとになった。ロシアは親仏に傾く)
d.英は会議の直前、オスマン帝国政府の援助をしてキプロスの管理を得る
(調印後キプロスを買収し公表。スエズ運河の安全確保。英露接近が阻まれる)
e.ダーダネルス海峡は、従来どおり軍艦通過禁止(ロンドン会議のとおり)。

8.保護関税施行(1879)
①ユンカーも自由主義から保護主義に転向:ロシアの穀物流入抑える
②ブルジョワはイギリス商品の流入を嫌ったので「鉄と穀物の同盟」が成立

三帝同盟崩壊の危機
↓しかし
ロシアにはいくらドイツを恨んでも敵対できない事情があった
↓なぜなら
中央アジア(インドの北方)でロシアはイギリスと敵対していて、ドイツとも敵対するだけの力がなかったから。

8.独墺同盟(1879)…対露秘密の軍事同盟
これにより、18世紀以来の独墺対立が解消した。
この同盟が結ばれてもロシアはドイツに戦争を仕掛けることはなく、むしろ対独親善に傾くとビスマルクは予測。

9.三帝同盟復活(1881)
①案の定、ロシアはドイツとの親善を選択
↓しかし
②まもなくバルカンで墺露対立のため三帝同盟再び解消
↓そこで
③ビスマルクはなおロシアをつなぎとめる
↓そこで
④ロシアと再保障条約

10.再保障条約(1887)…独露間の秘密条約
①オーストリアには内緒(バルカンで露墺は対立していたので)
②露仏が同盟しないように第3国と戦争の時中立を守り、露が海峡進出の時には外交的支持をすることにした。

いやや内緒で(1887)再保障

11.イタリアがドイツに接近
(1)背景
①1830年、フランスがアルジェリアに進出


②1881年、アルジェリアからチュニジア占領
↓しかし
③チュニジアに関心を持っていたイタリアがフランスの占領に大抗議
↓しかし
「目の前の皿の魚をとった」というイタリアの抗議をフランスは無視

⑤1882年、フランス孤立政策のため独墺同盟にイタリアを加え、三国同盟成立
※これは第一次世界大戦の対立の一方の軸になるが開戦直前にイタリアは脱落

12.ビスマルク辞職(1890)「一役終わった(1890)ビスマルク

☆ちなみにこの頃イギリスは、「光栄ある孤立」を誇っていたが、イギリスはイタリア、オーストリアと地中海協定を結んで、地中海の安全を約束している。また、同年、スペイン・ドイツがこの協定に加盟している。

イギリスは、アジア・アフリア・ラテンアメリカと盛んに商売をしていた。

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