動画の第2弾です。

 書き起こしを見ながら聴けるように、あえて棒読みで話しています。

 教科書や参考書にはない切り口を意識しました。

 移動時間などの隙間の時間に見てください。

 仕事が忙しくて週に1回が今のところ限度ですが、あしからず。

18世紀までのイギリスやアメリカで伝統的に発展してきた自然法思想は、

神様の存在を前提にしているとも思われるので、科学的な考察が尊重された19世紀以降、

特に、フランスやドイツなどのヨーロッパ大陸の国々では、この考え方を受け入れないで、

法実証主義という立場をとりました。後に戦前の日本もこの考え方を輸入しました。

この考え方は、要するに、法の起源に、自然法のようなあいまいなものを認めない立場です。

法の存在根拠を正義とか道徳とかの価値観から区別しようとしたのです。

この考え方からは、法とは、国会が作った法だけをさす、という帰結が導かれます。

つまり、人間は理性的存在であり、道徳や正義や宗教観などのあいまいなものを

基礎に置いた法(つまり自然法)は認められない、そういった価値観からは法は中立的で

あるべきだと考えたのです。

悪法も法なり、というわけです。

こういった考え方をもとにして、ドイツなどでは法治主義に基づいて国家を運営していました。

法治主義は、最初、国会が作った法によって行政をコントロールする、

これが、自然法を認める立場に比べて明快だし効率的だ、という考えでした。

ですから、

法治主義とは、最初は、行政権の行使について、国会が作った法律に従うことが必要だ、

ということだけを意味していました。

しかし、この考え方は、君主主権の強いドイツや日本では、逆に人権制限の道具として

法律を利用する権力者にとって非常に都合のいいものでした。

法実証主義を根底に持つ法治主義の下で、

「法律がなければ、人権を制限できない」という意味だった「法律の留保」の内容を、

「法律があれば人権を制限できる」という内容に変えてしまったのです。

これは、議会で作られた法のみが法であり、議会で作られた以上、

法の内容が人権侵害するものであっても法として成り立つ、つまり、

「悪法も法なり」という法実証主義の考え方からもたらされたものです。

明治憲法などでは、「表現の自由」を認めるときに、「法律ノ範囲内に於イテ」など

と条件を付ける形で規定されました。

明治憲法下の「法律の留保」は、人権保障を法律の範囲内で認めるという

留保条件のことを意味していました。

これにより治安維持法などの悪法が制定され政府によって堂々と

人権制限が行われました。

ちなみに、治安維持法で、死刑になった人はいません。

多くの人は、逮捕された後、取り調べの時に拷問を受けたり

獄中で虐殺されたために亡くなったのです。

あの、「蟹工船」を書いた、「小林多喜二」も、築地警察に逮捕された後、

取り調べで拷問を受けて亡くなっています。