1.中産階級の成長

(1)14世紀以降、荘園の解体によりヨーマンリー(独立自営農民)が成長

(2)15世紀から17世紀には、富裕ヨーマンの中から、

①農業労働者を雇用する農業資本家

②毛織物マニュファクチュアを経営する産業資本家

ジェントリ(郷紳)も地方行政、下院で活躍

2.ステュアート朝

(1)ジェームズ1世(位1603~25)

エリザベス1世の死でテューダー朝断絶(人群れ騒ぐ1603

→スコットランド王ジェームズ6世が即位し、ジェームズ1世としてステュアート朝を創始

②国王は国教会と結び中産階級に多かったピューリタンを弾圧し、王権神授説を唱えて議会を無視

③議会は1621年大抗議で議会の国政処理の権利を主張

1620年、信仰の自由を求めたピューリタン(ピルグリムファーザーズ)は、メイフラワー号で北米に移住し、プリマス植民地を開く。

(2)チャールズ1世(位1625~49)

①議会は、1628年権利の請願を承認させたが、王は翌年から11年間議会を招集しなかった(無議会時代

長老派の多いスコットランド国教会を強制したため反乱が勃発

→王は1640年に鎮圧費捻出のため議会を開くが3週間で解散(短期議会

1640年に召集された議会(~1653、長期議会)は、翌年の1641年に大諫奏を提出。

④1642年、王党派・議会派の内戦となった。

3.ピューリタン革命

1)経過

①最初は、王党派優勢

議会派オリヴァ・クロムウェルヨーマン中心の鉄騎隊を率いて活躍し、

③1645年、王党派は、ネーズビーの戦いで大敗

④1647年、議会派は、国王を捕虜とした

2)議会派の分裂

①1648年、プライドの追放により、独立派のみの臀部(ランプ)議会が成立

3)国王の処刑

1649年チャールズ1世が処刑され、共和政(コモンウェルス)成立

4)共和政とクロムウェル

①急進派の水平派を弾圧する一方、スコットランドを征服、アイルランドに遠征して土地を収奪し、植民地化

航海法の発布(1651)

→貿易商品の輸送イギリス船か生産国の船舶に限定。

オランダの中継貿易に打撃を与え、英蘭戦争が起こった。

1653年長期議会を解散して、護国卿に就任し、軍事的独裁を行う


クロムウェルの死後、その子、リチャード・クロムウェルが護国卿に就任

無為無策で政局が混迷し、長老派と王党派が妥協して王政復活となる。