Magna Carta panel – Canterbury Pulpit – Washington National Cathedral – Washington DC – 2012 / Tim Evanson

「法の支配」とは、正義の法による支配、すなわち、いかなる国家権力も、「正義の法」に従わなければならないという原則をいいます。「マグナカルタ」の時の13世紀のイギリスの裁判官、ブラクトンが「国王といえども神と法の下にある」と言い、初めてこの「法の支配」の考え方を主張し、後に17世紀の大法官エドワード=コークがこのブラクトンの言葉を引用し「法の支配」を主張しました。

 また、この「正義の法」とは、個人の人権を保障した法のことをさします。そして歴史的には、神の法である前国家的な法の「自然法」とその現れであるイギリスにおける判例法である「コモンロー」を意味します。イギリスにおいては裁判所は、単なる法の適用機関ではなく、「正義の法」、「自然法」を発見する機関であると言えます。つまり、「神の法」、「正義の法」、「自然法」というのは、個人の人権保障が究極の目的であり、この法による支配を通じて、すべての国家権力をコントロールし人権保障を図ることが「法の支配」の実質的内容です。そしてその「正義の法」の具体的な内容は、イギリスでは判例法であるコモンローによって明らかにされます。

 一方、「法治主義」は、自然法思想を否定し、全ての法の根拠を議会制定法におきます。この立場を「法実証主義」といい、ドイツなどで発展した考え方です。法治主義は本来、行政権(君主権)の行使には法律上の根拠が必要とされることから議会制定法によって行政権(君主権)の行使を抑制することを目的としていましたが、ドイツでは、逆に行政権(君主権)が、個人の人権を制限したり義務を課したりする根拠として議会制定法を利用し、憲法上個人の人権を認める体裁をとりながら実は、「法律の留保」によって人権を制限できる「外見的立憲主義」と呼ばれる体制をとり、明治憲法時代に日本もこの体制をとっていました。

 ここでいう「法律の留保」とは、本来は、行政権(君主権)が人権制限するためには法律上の根拠が必要であるという意味でしたが、行政権(君主)がこれを逆に利用し、法律上の根拠があれば、人権制限できるという意味になってしまいました。日本の場合は、明治憲法に「法律ノ範囲内二於イテ」という留保をつけて人権を認めたために、「治安維持法」などの人権侵害を引き起こした様々な法律が作られたりしました。

 以上見てきた通り、「法の支配」と「法治主義」の一番大きな違いは、「法」の意味であると言えます。つまり、「法の支配」の「法」は、「正義の法」つまり、「人権保障の法」をさし、「人権侵害の法」は「正義の法」に反し、無効という帰結になります。これに対し「法治主義」の「法」は「議会制定法」をさし、法律の内容は関係なく、人権侵害の法も有効ということになります。「悪法も法なり」というのはことのことをさします。

 この「法の支配」の考え方は日本国憲法にも多く取り入れられています。簡単にみておくと、違憲審査権(81条)、憲法の最高法規性(98条)、人権の不可侵性(11条、97条)、適法手続の保障(31条)、個人の尊厳(13条)などにあらわれています。