(1).旧ユーゴスラビア連邦は、どこにあった?
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答:バルカン半島
(2).1914年、オーストリアの皇太子夫妻がセルビア人青年に暗殺されたこと(サラエボ事件)によって起きた戦争は何?
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答:第1次世界大戦
(3).第1次世界大戦時、バルカン半島の支配をめぐってドイツ民族による統一を目指す主義を何という?
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答:汎ゲルマン主義
(4).第1次世界大戦時、バルカン半島の支配をめぐってロシア民族による統一を目指す主義を何という?
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答:汎スラブ主義
(5).第2次世界大戦時、バルカン半島を支配していたのはどこの国?
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答:ナチス・ドイツやイタリア
(6).第2次大戦後、ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議出身のメンバーが中心となって、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国が成立するが、カリスマ的な指導力を発揮し、長く指導者となったのは誰?
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答:ティトー
(7).このように社会主義連邦として成立したユーゴスラビアだが、いくつの共和国があった?
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答:6国(クロアチア、スロベニア、マケドニア、ボスニア=ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ)
(8).旧ユーゴスラビアは、7つの国境、6つの国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字があったといわれているが、このうち5つの民族と4つの言語、3つの宗教を言ってみて?
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答:5つの民族とは、スロベニア人、マケドニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人のことをさす。4つの言語とは、スロベニア語、マケドニア語、クロアチア語、セルビア語のことをさす。3つの宗教とは、カトリック、セルビア正教、イスラム教のことをさす。
(9).旧ユーゴスラビア連邦は、ティトーの指導のもと、社会主義であるがソ連からも一定の距離を置き、市場経済なども導入した独自路線をとった。外交的には、ワルシャワ条約機構にも参加せず、第3極のグループとして活動したが、1961年、首都ベオグラードで開かれた国際会議は何?
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答:第1回非同盟諸国首脳会議
(10).このように、多民族多文化国家であった旧ユーゴスラビアはティトーのカリスマ的な指導力でまとまっていた。ティトーが死去したのはいつ?
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答:1980年
(11).ティトーの死後、旧ユーゴスラビア連邦の政治体制はどうなった?
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答:集団指導体制になった