(1).1956年のソ連共産党第20回大会におけるフルシチョフのスターリン批判と一緒に打ち出された考えは何?

答:平和共存

(2).1956年、国連加盟に反対しているソ連と話し合うために、当時の鳩山一郎首相が訪ソしブルガーニン首相と会談して、日本との国交回復、さらに日本の国連加盟に反対しない旨の文書が取り交わされたが、それは何?

答:日ソ共同宣言

(3).日ソ共同宣言でもう一つ取り交わされた約束は何?

答:日ソ間に平和条約が締結されたあかつきには、北方領土のうち歯舞群島と色丹島を日本に返還する

(4).日ソ共同宣言の二島返還の合意は、現在でも有効?その有効性を確認した文書を2つ挙げられる?

答:有効である。2つの文書とは、1993年のエリツィン大統領来日の際の東京宣言と2001年のイルクーツク声明

(5).雪解けを世界に対して印象づけた出来事は何?

答:フルシチョフの訪米とキャンプデービッド会談(1959年)

(6).1961年、ケネディ大統領とフルシチョフがベルリンの戦後処理問題について会談したが、その会談を何という?

答:ウィーン会談

(7).この会談で西ベルリンからアメリカ軍が撤退するよう求めたフルシチョフに対しケネディはその要求を拒否したことにより、再びにわかに緊張が高まった。さらに約2ヶ月後に、ベルリンに変化が生じたが、それは何?

答:ソ連によるベルリンの壁の建設

(8).ベルリンの壁建設で再び緊張が高まった翌年の1962年、世界を核戦争の一歩手前まで追い込んだ事件が起きた。それは何?

答:キューバ危機

(9).キューバ危機後に米ソが設置したものは何?

答:ホットライン(首脳間の直通電話)

(10).その後、話し合いの外交により、各軍備の管理に関する条約が締結されるがそれらは何?2つ言える?

答:部分的核実験禁止条約(1963年)、核拡散防止条約(1968年)